エイビットのご近所

普段から当店の店舗に来てくれている人なら分かると思いますが、当店は基本的には「普通の工具店」なので頼まれればいろんな工具や道具を取り寄せ可能です。

特にウチがある埼玉県北部は周りに農家さんも多くてそういった道具とか園芸用の道具の注文もお受けしております。

高枝切りハサミ

特にこの時期は庭の手入れ用に高枝切りハサミのご注文をお受けしたり、マキタの電動工具でも園芸向けの工具の注文をお受けしたりもしております。
なかなか遠方の方だと難しいかも知れませんが店舗まで来られる人でしたら遠慮なくご相談ください。

そして。
せっかくエイビットの店舗まで来たのならって事で今回はご近所のうどん屋さんを紹介。

お隣の加須市は天皇陛下が食されたと言われているうどんの聖地だったりするのですが、我が羽生市にも庶民的で美味しいうどん屋さんがあります。

まずは当店の通り沿い、お店から5~6分のところにある『新川うどん』

うどん新川

安くて早いのが特徴で平日から賑わっている人気店です。
私も暇な日にはお店を20分だけ閉めて食べにいったりもしてます。
ここはエイビットのお店と同じ通りに面していることもあり、エイビットに来るついでに寄る人も多いですね。

そしてもう1件は場所がちょっと分かりにくいけどウチから10分くらいの羽生駅の近くにある「とちぎや」

うどんとちぎや

ここはテレビとかでも何度か紹介されててお昼時になると行列が出来てしまうので、出来れば13時過ぎくらいにいくのがおすすめ。

うどんとちぎや

メニューはシンプルでこれだけ。
天ぷらうどんとかもなくて、大きさだけ選ぶと上の写真のように天ぷら付で出てきます。
今年の春に50円値上がってこの価格なのでとにかく安さがウリですかねw
超特大はなんどか見たことあるけどバケツみたいなのが出てくるので要注意です。
あ、あと土日はやってないので週末だと無理なのが残念かな。

ってなわけでエイビット店舗まで来る事あったらぜひどちらかに寄ってみてくださいませ。

雑誌での新連載を始めました

約1年ほどぶりとなりますが縁あってお声掛けして頂きバイク雑誌「BIGTANK MAGAZINE」にて工具系のコラム連載をスタートしました。

なんでも雑誌創刊から25周年って事らしくウチの店の歴史とも同じくらいなので親近感もありますね。

前回連載していた雑誌は休刊となり連載は終わってしまいましたが、ぶっちゃけ書くことがなくなりつつありましたので、いい終わりの機会だったと思っておりました。
しかし1年も経つとまた書きたい事がたまり始めておりましたので、わりといい機会だったと思います。

BIGTANKマガジン

>>雑誌の詳しい情報はこちらからどうぞ。

今回もこのブログではあまり書かないような工具の魅力について書いていけたらいいなと思ってます。
気になる方はぜひ定期購読してみてくださいませ。

店主の近況報告

さてさて入院騒ぎもそこそこ落ち着きまして退院から約1ヶ月くらい経ったのでちょいと近況報告となります。

退院直後は「これマジで仕事出来ないんじゃね?」と思ったくらい何しても痛くてかなり参っておりましたが、さすがに今はかなり良くなりました。

入院中から問題のあった手術箇所の首の筋力低下。
特にPCに向かう姿勢(ご飯食べる姿勢も)がとにかくきつくて、手術痕が痛いわけではなく手術にともなって剥がした首の筋肉のせいで首を支える筋力がなくなってしまい、直立姿勢をとっているだけでもつらかったんです。

実際退院直後はPC姿勢をとっていられる活動限界は5~10分でした。
それが今は大体30分以上やるとやっとつらくなるくらいまでには復活。
これが出来るだけで仕事の能率も上がって結果としてまとまった休憩もとれるからかなり楽になりました。

そしてこれまた入院中から行っているリハビリ(筋トレ)
主に首を支える補助の筋肉の補強とストレッチなのですが、リハビリ担当の人が同じバイク乗りだったのもあって、関係のない下半身メニューも組んでくれて治った後は存分にバイク乗れるように考えてくれました。

最初のメインはやはり首まわりのリハビリだったのですが…いつの間にか下半身強化メニューの方が比重が高くなりまして。
毎朝30~40分かけて

スクワット→片足交互上げ→バックランジ→広背筋リハビリ→首リハビリ→股関節ストレッチ→ダンベル低負荷→バックランジ

リハビリ

こんな感じのメニューをよほどの筋肉痛がない限り毎日続けております。
メニューが全部終わった後はゼイゼイハァーハァーとかなりしんどいメニューなのですが、まぁこんな機会ないとやらなかったよな、と思って続けております。

身体の調子はぶっちゃけまだ良くはないのですが、それでも毎日実感出来るほどには良くなってきておりまして、多分ですけど後1ヶ月もあればかなりなんとかなるのでは?と思い始めております。

店舗での接客時にはまだ「ごめん、ちょっと椅子に座らせてください」ってな場面もあるかもですが何卒ご了承くださいませ。

 

入院顛末記 ─そして退院へ─ 最終回

朝の8時半きっかりに回診の先生が来てくれて待望の背中のドレンホースが抜かれました。
痛みとかはなかったんだけど、皮膚の下を何かが這う感じで全身鳥肌になったのはよく覚えております。
そしてドレンホースが抜けたということはおしっこの管とか点滴とかが順次抜けていきまして。

これまた忘れもしない5月12日。
まだ点滴だけは破傷風対策のやつが1回分残っていたのですがついに。

入院顛末記 退院編

自分の足で歩いて部屋の外に出ることに成功。
もうこれはマジで嬉しかったですね。
ベッドから起き上がるだけで嬉しいんすから相当なもんだったと思います。

ちなみにこの時点で患部の痛みはほぼなく、その代わり首の筋肉を剥がした痛みでベッドから起き上がるたびに声が出るほどの激痛でした。
それでも何の痛みなのかは聞いてましたので、やはり痛みよりは自由に出歩ける事の嬉しさの方が勝っていたと思います。

で、実はこの後はリハビリしたりとか退院まではまだいろいろあるのですが、あまり書いても面白い内容ではないので最後に1エピソードだけ書かせて頂きます。

と、その前に病院内が歩けるようになったので簡単に画像と説明。

入院顛末記 退院編

私のいる4階フロアの図。
こんな感じで周回路っぽくなっていて歩くことがリハビリな人はこの1周をグルグルと回って歩く事が出来ます。
図で見ると短いように思えますが。

入院顛末記 退院編

実は結構な距離がありまして1周で約250mとの表記がありました。
ちなみにですがあまりにも暇な私はこの周回路をマジで500周くらいはしたと思います。

入院顛末記 退院編

そしてフロア中央にあるのが談話室。
ね?まじでホテルみたいでしょ?

入院顛末記 退院編

ここの窓際にはコンセントがあるので毎朝30分だけ、ここで仕事することに決めてました。
(それ以上は首が痛くて無理でした)

そしてリハビリ室もある1階へ。

入院顛末記 退院編

すごくないすか?
ちなみにリハビリ室は向かって左側にこれ以上の広さであるのですが、いつも人がいて誰かが写り込んでしまうのでアップはやめておきます。

入院顛末記 退院編

夜になったら溜め込んでいた映画を見たり、漫画を読んだりして過ごしました。

まぁ院内紹介っていってもこんなもんですわ。


っとまぁ後は最後に5月13日の金曜日の出来事を。

その日は背中の管とかが抜けた翌朝。
朝食をとっていると病室にひょっこりと主治医の先生が来ました。

「どう?ちょっと傷口見せて。うん、いいね順調だ」

とか言いつつ他に身体の変調はないか?とか少しだけお話。
そこでどうしても。
どうしても聞いておきたかった事を質問します。
(実は何度か会ってはいたのですが怖くて聞けなかった)

・先生、前に話していた術後の激しい運動の話覚えてますか?
A.あーうん、ごめん詳しいのは忘れてしまった。

・私はバイク、バイクと言ってもかなり激しめのやつでモトクロスって言えばわかりますか?
A.はいはい、頸椎の担当だからねモトクロスなら分かるよ。

・先生は手術の結果次第で出来るかもって話されてました。ぶっちゃけどうですか?
A.あーそっか、そうだったね。思い出したよ。

と言い。
ゆっくりと話してくれました。

「まずね先に話しておくことがあるのだけど、手術の成功の度合いというのかな、あまりそういう表現はしないんだけど。とにかくそういうのがあったとしたら今回の手術は大成功だったよ」

と。

「そして質問の件だけど。まず医師としたら首に負担の掛かる事はやはりオススメはしない、けどね。今回の手術によってあなたは術後の生活、スポーツも含めてね。何かの制限を受ける事は一切ないと言っていい」

はい。

「もちろんね私はあなたの主治医だから。無茶な事は勧められない。けどそういったスポーツ寄りのバイクに乗りたいというならば止める理由もないよ。だから気をつけて楽しんでね」

と。
もうね。
手術直後に理由もなく涙が出た話をしたと思うけど。
この時はね、マジ泣きしてしまった。

 

よく「命あっての物種」とかいうじゃないすか。
もちろんその通りだと思う反面、今回のようなことが突然身に降り掛かったら、結構呆然としてしまうと思うんですよ。
健康寿命っていうんですかね、元気に旅行とかスポーツとかやりたい趣味を全開で楽しむ。
そんな日々がある日突然「はい、ここまで」と終了宣言された3月18日から、ずっと心の奥の方で怖くて仕方なかったんです。
だからマジ泣きでした。

とりあえず今はリハビリを頑張ってます。
カミさんの事があったり、今の先生の話があったりもして本当の本気でド根性で頑張ってます。
別に80歳まで遊びたいとは言いませんが何かを辞める決心くらいは自分でつけたいなって本当に思いました。
(これを読んでいる出来なくなってしまった人には本当にごめんなさい)


いろいろあった入院生活でしたがリハビリの頑張りとか、術後の経過もよく早めに退院させてもらえました。
そして遂に最終日。

入院顛末記 退院編

最後の晩餐は油淋鶏でした。
ごはんはずっと美味しかったです(ありがとうございました)

翌朝。
首の後ろを留めていた医療用ホチキスを外してもらい。
そのまま退院の手続きへ。

入院顛末記 退院編

入院用に持ってきたお箸とスプーン、そして歯ブラシセットとトレー。
(トレーはマジで便利だった)

入院顛末記 退院編

各種充電器とかも綺麗に片付けて終了。

入院顛末記 退院編

2週間も過ごした部屋なので最後はちょっと感傷的になってしまいました。

入院顛末記 退院編

最後の最後は入院時に取り付けた生体タグをハサミで切って終了。
「記念に持って帰ります?」と聞かれたけど、捨ててくださいってお願いして看護師さんにも感謝を伝えました。

入院顛末記 退院編

そしてずっと見たかった外からの病院を少しだけ眺めて帰宅。


そんなわけで長かった入院顛末記もこれにて終了です。
あくまでも数年後に自分で見て笑えるように記憶があるうちに書き上げました。

そういえば入院してからずっと天気が悪くていつも窓の外は雨が降ってたりしたのですが、さっき書いた13日だけすっごく晴れたんですよ。

入院顛末記 退院編

いつも鉛色だった景色がいつもより余計に綺麗に見えたんです。
これ画像で撮りましたけど記憶にもバッチリ残ってるんですよね。

まぁとりあえずおっさんの入院記録はこれにて終了です。
(何かおもしろエピソードを思い出したらまた番外編でも書くかもしれませんが)
長い長い駄文にお付き合い頂きありがとうございました。

入院顛末記 ─手術編─

5月10日12時40分。
病室のドアが開き

「そろそろ手術室に向かいますよ」

と看護師から言われまして。
自分の足で立ち上がり靴を履いて点滴のアレを持ってガラガラと自分の足で歩いて移動開始。

「あ、そうだ。看護師さんちょっと写真一枚撮ってもいい?」

と聞いて普段はあまりやらない自撮りを1枚だけパシャリ。

入院手術編

もうね、最高に情けない表情してますがこれから未知の手術に向かう人間としてはこんなもんかな?とは思います、はいw

私の病室は4階だったのですが手術フロアは2階にあるのでエレベーターに乗って2階に移動。
(点滴のアレは自分でガラガラと押してます)
2階フロアは普段エレベーターが止まらないようになっていて、入院中も立ち入ったのはこの手術の時だけでした。

2階のフロアは他の階と違ってもうね、すごいの。
完全に近代的な手術のためのフロアって感じでとにかくすごいの(語彙力)

入院手術編

流石にスマホの持ち込みとか出来なかったので拾い画像だけど、マジでこんな感じでした。
で、私は「3」と書かれた手術室に通されるのだけど、直前の待機所みたいなところで担当の看護師と手術のスタッフとの受け渡しみたいな儀式があり

「氏名・生年月日・生体タグ確認」

とかそんな感じで手術スタッフに引き渡されました。
そこでメガネと靴を脱いでくださいって言われ、ストレッチャーに寝かされました。
(ここで看護師さんとはお別れ)

そこからもうドラマと同じ。
カラカラカラカラっと寝たまま手術室に運ばれまして。
そこには昨夜挨拶にきてくれた麻酔の先生と先述の相談にも乗ってくれた主治医の先生がいまして。

「「はい、よろしくお願いします」」

ってな感じでにこやかに挨拶されまして。
もうね、自分ではどうにもならないの、流れに身を任せて内心「わーわーわー」とか思っててもガンガンと事が進む感じ。

ここでも再度「名前をフルネームで言ってください」と言われて答えまして。
そしたら横にいた麻酔の先生が

「はいー、じゃぁ麻酔が入りますよー」

と少し呑気な掛け声を言いました。
入院前に全身麻酔の手術経験がある人からいろんな話を聞いていて、ある人は「数を1から数えてくださいねー」とか「名前と生年月日を繰り返し言ってくださいねー」とか言われるよ、なんて聞いたりもしてたのですが……
結局そんな事もなく

私が覚えているのは麻酔の先生のさっきの掛け声だけ。
多分次の瞬間には麻酔が効いて眠ってしまったんだと思います。

 

っとまぁこんな感じで手術が始まったと思うのですが、当たり前だけど術中の記憶は全く無し。
書くこともほぼないので今回行った手術の事について少しだけ書いておきますね。


私の病名は「後縦靭帯骨化症」という頸椎(首)の中の主神経の周りにあって神経を守るはずの靭帯組織が骨になってしまう難病。
もちろん数日で骨になるわけではなく、何年も何十年もかけて骨化するわけですが、骨化によってメインハーネスである主神経を押しつぶしてしまい、結果として狭窄症を起こしているわけです。
ちなみにこの骨化という症状は比喩とかではなく、何故か本当の「骨」になってしまうみたいで腫瘍とかとは違い「骨」そのものに害はないとの事。

首の骨というのは節みたいな感じで前後左右にグリグリ動くようになっているのですが、その節は頸椎に7個分あります。

入院手術編

上から順番に1~7の番号を付けるとすると。
私の場合は3番から7番までの5個分をいじらなければならなくて、特に4番・5番・6番の3個は切断してスペーサーを入れて再度ハメ込み、その上下にあたる3番と7番は内側を削ってスペースを作るって感じ。

分割されスペーサーを入れられた背骨と削ってスペースを作られた部分のおかげで背骨内に主神経の通り道を確保してあげるってのが今回の手術の主な目的となります。

まぁ聞くだけでも怖いっすよね(笑)
実際手術の方法とかの説明は事前にあったのですが途中まで聞いて「あーもういいす、大体分かりました」と言って聞くのをやめたくらいでしたからw
(さすがに術後に詳しく聞きました)

そんなわけで首の後ろ側を10センチ以上切られ背骨を露出するために、首の主な筋肉を剥がされてしまいました。


そんなこんなで手術の時間的には2時間ちょっと。
その後ICU的な場所で40~50分バイタルチェックが行われまして、無事に自分の病室に帰ってきました。
(まだ目覚めてない)

入院手術編

これは手術の終わりを待つカミさんが撮影した病室に戻り覚醒する前の私。
私はまだ眠っているのですがなぜかスマホのシャッター音がした事だけは覚えているんですよね。(不思議)

そしていよいよ目覚め。

 

入院手術編

「……知らない天井だ…」

目が覚めてすぐに看護師さんから「手術は無事に成功しましたよ」と伝えられました。
誰かが言ってたけど本当に術前に麻酔打ったと思ったら、目覚めたら終わってる状態でしたね。

そしてとにかく喉が乾いていて飲み物を求めて口を開けようとするんだけど、うまく口が回らなくて「うーあー」とか言ってました。
あ、そうそう。
この時に自分的に印象的だったのがずっと涙が出ていたんです。
感情の起伏とかは一切なくてただポロポロと出続ける涙。
多分身体の危機的状況に反応して無意識で出ていたんですかね?この涙はなんなんだろう?とか結構冷静に考えていました。

それでも徐々に覚醒していく私。
なんとか飲み物を飲ませてもらい「他に欲しいモノありますか?」と言われたので時間が見たくて「スマホを取ってください」とお願いしました。

その時に何気に撮った写真が上の天井写真です。

そして無事を確認し落ち着いた頃にカミさんはとりあえず帰宅。
看護師さんからは痛くなったらすぐに手元のスイッチを押してくれと言われ、なんだろう?と思ったら即効性の痛み止めが出るスイッチでした。
(点滴に自動で入るみたい)

で、ここから地獄の48時間耐久の始まり。


ベッドに横たわる私。
腕には点滴と反対の腕にはバイタルチェックの何かのコード。
口には酸素マスクが付いて、下半身にはおしっこの管が入っております。

入院手術編

そして首の後ろから生えているのが血抜きのドレンホース。
このドレンホース、手術痕の横3センチくらいのところに独立して皮膚に穴を開けて刺さっておりまして、仰向けの体制を崩してはいけない私は常に首の後ろに硬いホースがゴリゴリと。
そりゃもうずっと、ゴリゴリとゴリゴリと……
ちなみに食事も36時間以上とってないのだけど腹は減らない。

とにかく身じろぎひとつNGな状態で全身に何かしらが取り付けられた状態ですでに24時間経過。
日付は手術の翌日5月11日になっております。
朝日が登って朝だという事は分かるのだけど横を向いたりも出来ないので、とにかくこの姿勢のまま我慢我慢&我慢。
そして背中の管はずっとゴリゴリゴリゴリ……

ようやく朝の回診で先生と看護師さんがきてくれて再度手術は成功した事と身体も安定(体温や脈拍、血圧等)しているので大丈夫ですよって伝えられました。

でも。
「はよーこの背中の管を抜いてくれー!」
ってのが本心でして、その件を聞いてみました。
そしたら先生が

「かなり順調なのでもうすぐ背中とおしっこの管は抜けますよ」

と!
マジか!やったぜ!
(もうすぐっていつだよー?)

「そうだな明日の朝には抜けると思うよ」(満面の笑み)

えええぇぇぇ!
明日の朝って何時ですか?と聞くと「8時半頃かな?」と。
今何時だろう?と思ってスマホを覗くとAM9:00の文字…。

24時間後かよー!
と心で大きく叫んじゃいましたね。

後はずっとスマホの時計とにらめっこ。
ちょっと経ったかな?と思ってスマホ見るとまだ15分しか経ってない…。

入院手術編

ちなみにこの写真。
私の枕元の横にある有料の冷蔵庫。
200円で24時間動いてくれるのですが入院してすぐに電源入れて

24時間×3=72時間分

を払ってある状態だったんですね。
そういえば冷蔵庫って後何時間動くのだろう?と思った私は姿勢が崩せないのでスマホで何度も写真撮ってやっと稼働時間部分が写ったのがこれでした。
そこで非情の残時間「18」の文字が…。
ああぁ冷蔵庫切れちゃうやん!って落ち込みましたが、あとで看護師さん来て延長ボタン押してくれたので事なきを得ました。

そんなこんなでやっと。
本当にやっとの思いでそこから24時間が経過。

待望の全ハーネス除去に臨みます。

次回最終回。