入院顛末記 ─手術編─

5月10日12時40分。
病室のドアが開き

「そろそろ手術室に向かいますよ」

と看護師から言われまして。
自分の足で立ち上がり靴を履いて点滴のアレを持ってガラガラと自分の足で歩いて移動開始。

「あ、そうだ。看護師さんちょっと写真一枚撮ってもいい?」

と聞いて普段はあまりやらない自撮りを1枚だけパシャリ。

入院手術編

もうね、最高に情けない表情してますがこれから未知の手術に向かう人間としてはこんなもんかな?とは思います、はいw

私の病室は4階だったのですが手術フロアは2階にあるのでエレベーターに乗って2階に移動。
(点滴のアレは自分でガラガラと押してます)
2階フロアは普段エレベーターが止まらないようになっていて、入院中も立ち入ったのはこの手術の時だけでした。

2階のフロアは他の階と違ってもうね、すごいの。
完全に近代的な手術のためのフロアって感じでとにかくすごいの(語彙力)

入院手術編

流石にスマホの持ち込みとか出来なかったので拾い画像だけど、マジでこんな感じでした。
で、私は「3」と書かれた手術室に通されるのだけど、直前の待機所みたいなところで担当の看護師と手術のスタッフとの受け渡しみたいな儀式があり

「氏名・生年月日・生体タグ確認」

とかそんな感じで手術スタッフに引き渡されました。
そこでメガネと靴を脱いでくださいって言われ、ストレッチャーに寝かされました。
(ここで看護師さんとはお別れ)

そこからもうドラマと同じ。
カラカラカラカラっと寝たまま手術室に運ばれまして。
そこには昨夜挨拶にきてくれた麻酔の先生と先述の相談にも乗ってくれた主治医の先生がいまして。

「「はい、よろしくお願いします」」

ってな感じでにこやかに挨拶されまして。
もうね、自分ではどうにもならないの、流れに身を任せて内心「わーわーわー」とか思っててもガンガンと事が進む感じ。

ここでも再度「名前をフルネームで言ってください」と言われて答えまして。
そしたら横にいた麻酔の先生が

「はいー、じゃぁ麻酔が入りますよー」

と少し呑気な掛け声を言いました。
入院前に全身麻酔の手術経験がある人からいろんな話を聞いていて、ある人は「数を1から数えてくださいねー」とか「名前と生年月日を繰り返し言ってくださいねー」とか言われるよ、なんて聞いたりもしてたのですが……
結局そんな事もなく

私が覚えているのは麻酔の先生のさっきの掛け声だけ。
多分次の瞬間には麻酔が効いて眠ってしまったんだと思います。

 

っとまぁこんな感じで手術が始まったと思うのですが、当たり前だけど術中の記憶は全く無し。
書くこともほぼないので今回行った手術の事について少しだけ書いておきますね。


私の病名は「後縦靭帯骨化症」という頸椎(首)の中の主神経の周りにあって神経を守るはずの靭帯組織が骨になってしまう難病。
もちろん数日で骨になるわけではなく、何年も何十年もかけて骨化するわけですが、骨化によってメインハーネスである主神経を押しつぶしてしまい、結果として狭窄症を起こしているわけです。
ちなみにこの骨化という症状は比喩とかではなく、何故か本当の「骨」になってしまうみたいで腫瘍とかとは違い「骨」そのものに害はないとの事。

首の骨というのは節みたいな感じで前後左右にグリグリ動くようになっているのですが、その節は頸椎に7個分あります。

入院手術編

上から順番に1~7の番号を付けるとすると。
私の場合は3番から7番までの5個分をいじらなければならなくて、特に4番・5番・6番の3個は切断してスペーサーを入れて再度ハメ込み、その上下にあたる3番と7番は内側を削ってスペースを作るって感じ。

分割されスペーサーを入れられた背骨と削ってスペースを作られた部分のおかげで背骨内に主神経の通り道を確保してあげるってのが今回の手術の主な目的となります。

まぁ聞くだけでも怖いっすよね(笑)
実際手術の方法とかの説明は事前にあったのですが途中まで聞いて「あーもういいす、大体分かりました」と言って聞くのをやめたくらいでしたからw
(さすがに術後に詳しく聞きました)

そんなわけで首の後ろ側を10センチ以上切られ背骨を露出するために、首の主な筋肉を剥がされてしまいました。


そんなこんなで手術の時間的には2時間ちょっと。
その後ICU的な場所で40~50分バイタルチェックが行われまして、無事に自分の病室に帰ってきました。
(まだ目覚めてない)

入院手術編

これは手術の終わりを待つカミさんが撮影した病室に戻り覚醒する前の私。
私はまだ眠っているのですがなぜかスマホのシャッター音がした事だけは覚えているんですよね。(不思議)

そしていよいよ目覚め。

 

入院手術編

「……知らない天井だ…」

目が覚めてすぐに看護師さんから「手術は無事に成功しましたよ」と伝えられました。
誰かが言ってたけど本当に術前に麻酔打ったと思ったら、目覚めたら終わってる状態でしたね。

そしてとにかく喉が乾いていて飲み物を求めて口を開けようとするんだけど、うまく口が回らなくて「うーあー」とか言ってました。
あ、そうそう。
この時に自分的に印象的だったのがずっと涙が出ていたんです。
感情の起伏とかは一切なくてただポロポロと出続ける涙。
多分身体の危機的状況に反応して無意識で出ていたんですかね?この涙はなんなんだろう?とか結構冷静に考えていました。

それでも徐々に覚醒していく私。
なんとか飲み物を飲ませてもらい「他に欲しいモノありますか?」と言われたので時間が見たくて「スマホを取ってください」とお願いしました。

その時に何気に撮った写真が上の天井写真です。

そして無事を確認し落ち着いた頃にカミさんはとりあえず帰宅。
看護師さんからは痛くなったらすぐに手元のスイッチを押してくれと言われ、なんだろう?と思ったら即効性の痛み止めが出るスイッチでした。
(点滴に自動で入るみたい)

で、ここから地獄の48時間耐久の始まり。


ベッドに横たわる私。
腕には点滴と反対の腕にはバイタルチェックの何かのコード。
口には酸素マスクが付いて、下半身にはおしっこの管が入っております。

入院手術編

そして首の後ろから生えているのが血抜きのドレンホース。
このドレンホース、手術痕の横3センチくらいのところに独立して皮膚に穴を開けて刺さっておりまして、仰向けの体制を崩してはいけない私は常に首の後ろに硬いホースがゴリゴリと。
そりゃもうずっと、ゴリゴリとゴリゴリと……
ちなみに食事も36時間以上とってないのだけど腹は減らない。

とにかく身じろぎひとつNGな状態で全身に何かしらが取り付けられた状態ですでに24時間経過。
日付は手術の翌日5月11日になっております。
朝日が登って朝だという事は分かるのだけど横を向いたりも出来ないので、とにかくこの姿勢のまま我慢我慢&我慢。
そして背中の管はずっとゴリゴリゴリゴリ……

ようやく朝の回診で先生と看護師さんがきてくれて再度手術は成功した事と身体も安定(体温や脈拍、血圧等)しているので大丈夫ですよって伝えられました。

でも。
「はよーこの背中の管を抜いてくれー!」
ってのが本心でして、その件を聞いてみました。
そしたら先生が

「かなり順調なのでもうすぐ背中とおしっこの管は抜けますよ」

と!
マジか!やったぜ!
(もうすぐっていつだよー?)

「そうだな明日の朝には抜けると思うよ」(満面の笑み)

えええぇぇぇ!
明日の朝って何時ですか?と聞くと「8時半頃かな?」と。
今何時だろう?と思ってスマホを覗くとAM9:00の文字…。

24時間後かよー!
と心で大きく叫んじゃいましたね。

後はずっとスマホの時計とにらめっこ。
ちょっと経ったかな?と思ってスマホ見るとまだ15分しか経ってない…。

入院手術編

ちなみにこの写真。
私の枕元の横にある有料の冷蔵庫。
200円で24時間動いてくれるのですが入院してすぐに電源入れて

24時間×3=72時間分

を払ってある状態だったんですね。
そういえば冷蔵庫って後何時間動くのだろう?と思った私は姿勢が崩せないのでスマホで何度も写真撮ってやっと稼働時間部分が写ったのがこれでした。
そこで非情の残時間「18」の文字が…。
ああぁ冷蔵庫切れちゃうやん!って落ち込みましたが、あとで看護師さん来て延長ボタン押してくれたので事なきを得ました。

そんなこんなでやっと。
本当にやっとの思いでそこから24時間が経過。

待望の全ハーネス除去に臨みます。

次回最終回。

入院顛末記 ─入院から手術直前─

5月9日の朝5時半頃に目が覚めまして。
いよいよ入院当日がきちゃったよ、おいー。
とか思いつつ髭を入念に剃って歯を磨いて7時頃にとりあえず一度店舗へ。

入院顛末記ー直前ー

そこから問い合わせメールの返答とか発注手配の再確認とか、店舗の休業の張り紙とか、全てを終わらせたのが8時半。
するとカミさんから電話来て「そろそろ出発の準備するよー」と。

病院からは「絶対に自分の車でこないように」と釘を刺されていたので、カミさんの車に大荷物を詰め込んで病院へGO

11時の入院予約なんだけど1時間も早く到着してしまい、病院からはどっかで買い物でもして時間潰してからまた来てくれと言われ近所のドラッグストアに最後の買い物へ。
結局カミさんのオススメでカップラーメン1個とばかうけ1袋を買って入院前の最後のシャバの空気を味わいました。

入院顛末記ー直前ー

入院受付のロビーに入るとわりと閑散としている雰囲気。
なんでも連休中は入院患者さんがみんな帰宅するように調整するらしく、いつもは賑わう病院も今日だけはスカスカで暇な日なんだそうです。

荷物はもう「引っ越しかよ」くらいな感じでパンパン。

入院顛末記ー直前ー

ただの入院だけならここまで要らなかったと思うのだけど、なんせ翌日に手術を控えているので手術用のイロイロなものを別に準備する必要があって、それらが結構な荷物になりました。

特にバスタオル類は多くて大判のタオルがかなりかさばるんですよね。
でも一緒のタイミングで入院する他の人を見ても似たような荷物量だったので、まぁそんなもんなのかもしれません。

で、受付も終わりましていよいよ病室へ。

入院顛末記ー直前ー

私が入院したのは慶友整形外科医院という3年ほど前に新造されたホテルみたいなちょー綺麗な病院。
病室も大部屋とかなくて「全個室」が売りです。
病室に入ると看護師さんから「床にものを一切置かないで欲しい」と言われました。
手術時のストレッチャーの移動等で床に何かあるのは危険との事。
そんなこんなで部屋の準備も終わりまして、いきなり昼食。

入院顛末記ー直前ー

記念すべき入院初食事は麻婆豆腐でした。
え?マジで美味しいんだけど、ずっとこんな感じなの?とか感動してましたね(笑)
ここでおくってくれたカミさんは帰宅。
いよいよ明日の手術のためだけの準備に入ります。

 

ここからがちょっと自分のメンタルが不安定になりましたね。
手術の前日から入院ってのはみんな同じような気持ちになるんでしょうか。
気持ちの持っていき方がめっちゃ難しかったです。

それでも入院前にかなり忙しく働いていた反動なのか。
夜になって9時半頃には知らないうちに爆睡してたみたいです。
実際入院前は半月以上休みなしで働いてましたからね、緊張の糸が切れたのかもしれません。

結局翌日の6時半頃まで眠り続けまして、起きたらとうとう手術の日が来てしまいました。
検温とか食事制限とか点滴準備とか自分以外のみんなが私を取り囲んでとにかく忙しそうに動いているのを見て、徐々にですが心臓がバクバクしたのをよく覚えています。

そして10時半頃かな?12時の手術予定を聞いたカミさんが病室に来まして、ニヤニヤしながら「なに?ビビってるん?」とか言われて「点滴がなかなか入らなくて痛かったー」とか言ってましたね(笑)

結局そのまま待機が続きまして。
前の手術が若干おしてしまい12時40分過ぎにガチャリと病室のドアが開き「はい、そろそろ手術に向かいますよ」と。

次回いよいよ手術編。

入院顛末記 ─番外編─

いよいよ入院だー!ってところまで書いたと思いますが、実はその入院するちょっと前に個人的にはいろいろ考えさせられる事がありまして。
これも忘れないように一応書いておいた方が自分のためかな…と思いまして記しておきます。

時系列的には入院説明の入院準備外来(4/20)の前日、4月19日の出来事。

 

いよいよ明日は入院説明か、持っていくモノのリストとか携帯電話の電波状況を確認するためにバッグにはスマホを4台くらい放り込んで──とかとか、とにかく段取り大好きな私は説明会にいくにあたって完璧な体制で臨む気持ちで各種の準備しておりました。
また仕事の方も「え?入院するの?そりゃ大変だ何か注文してやるよ」ってお客さんが多く、5月の売り上げを補填する勢いで注文も殺到していて120%の忙しさでした。

もちろん自分の身体は結構きつくて首や背中の痛みは7割から8割くらいを行ったり来たりな状態でしたが、それでもいろんな人に迷惑をかけて入院するのだから今頑張らなければって気持ちの方が強くてかなり無理もしてました。

そしてそんな感じで忙しく仕事をして家に帰ったのが9時半過ぎ。
自宅に戻るとカミさんがいなくて寝室から気配がします。

寝室に行ってみると寝ているカミさん。

「ん?どした?調子悪いのかい?」

と軽く聞くと。

「…おとーさん…やばいかも心臓が痛い……」

え?マジで。
救急車呼ぶかって思ったらカミさんが察したのか

「救急車はご近所に迷惑だから病院に連れて行って」

と。
すぐに羽生の総合病院を検索して救急外来の手配をとりました。
電話に出てくれた方は「心臓系は危ないので道中でも意識がなくなったりしたらすぐに救急車を呼んでくださいね」と言ってくれてすぐに私の車に乗せて病院に。

入院顛末記ー直前ー

病院につくとすぐに検温がありそこで発熱もしている事がわかりました。
ただ、この時期に発熱ってのはなかなか面倒でしてコロナの疑いもあるのでパンデミック対策で少し待ってくれと言われ準備室のようなところで待たされました。

待つこと1時間ちょい。
完全防護な格好で現れた医師と看護師2名。(ちょっとびっくりした)
そのままカミさんは搬送されていき準備室で待つ私。

そこからさらに1時間ちょい経過して医師から呼び出されました。
入室すると点滴を打たれて横たわるカミさん。
医師は私に向かって「今から病状を説明します、旦那さんも一緒にきいてください」と。

「CTで詳しい画像を撮った結果、多分ですが胸膜炎だと思います」

との事。
まぁ簡単にいうと肺の外の膜が何かしらの原因で炎症を起こしているって説明でした。
さらに採血からの結果も炎症反応が出ているので多分間違いないって判断。

「ただしCTの画像では肺の一部に影が出てしまっているので、後日精密検査が必要です」

「影の原因はほぼ炎症だと思いますが、今回抗生物質で炎症をとりあえず抑えますので後日炎症が収まった後にもう一度CTを撮りましょう」

って事になりました。
カミさんは痛み止めと抗生物質の点滴のおかげかかなり楽になってきているようで、今日は入院とかせずにこのまま帰宅してもらってOKと言ってもらえました。

時間はすでに夜中の2時近くて私の体調もわりと限界でして。
それを見たカミさんは「おとーさん、ごめんねー」とずっと言ってるのでなんとか歯を食いしばって大丈夫大丈夫と言うしかなかったです。

で、翌日。
薬が効いたのかカミさんはかなり良くなっていて、とりあえず入院説明だけ行ってくるわって言ったら「私も行く」と。
「いや、ふざけんな!寝てろよ」と言っても頑なに絶対行くときかないカミさん。
まぁ昨夜に比べれば本当に普通にしてたので仕方なく連れていく事にしまして、そのまま私の入院説明についてくる事になりました。
その結果説明会ではマシンガンのようにいろんな質問して満足気なカミさんの姿がありました。
まぁ連れて行ってよかったですね(笑)
※ちなみに後日の精密検査で問題ない事がちゃんと分かりました。

 

ってな事がね。
私の入院準備中にあったわけです、はい。

よく家族が病気になって「あんなにつらそうなら代わってあげたい」とかあるじゃないすか。
今回のカミさんの救急騒ぎでわりとマジでそう思ったんですよね。
あと私がつらそうにしているのに遠慮して病院にいくのをためらっていた雰囲気も感じてしまいさらに申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまいました。

だからね。
今回の私の入院なんて全然たいしたことじゃないって思えたんですよ。

だって痛かったり辛かったりするのは私だけで済むから。

あ、なーんだ問題ないじゃんって本気で思えたんです。
これってこの事がなかったらもう少し自分の気持ちが違っていたと思う出来事でした。
また「人に心配をかける」のも嫌だというのもはっきり自覚出来まして、今回せっかく入院までするんだからしっかり治そうって思えたんですよ。

 

別に書く必要のない番外編だとは思いましたが、やっぱこの出来事って結構大きくて後日の自分への戒めも含め書いておくことにしました。

次回はいよいよ入院編です。

入院顛末記 ─入院準備編─

前回からのつづき。

「外科手術が必要です」

と告げられた私。
何十年も自分のお店を切り盛りしてきて割とやっかいな事象でも狼狽えることなく対応してきた自信があったのですが…。
さすがに今回ばかりはかなり動揺してしまいまして。

よし!手術するわ!

と踏ん切りがつくまでに丸2日ほど掛かりました。
その間いろんな友人やお客さんにも相談に乗ってもらえたのはマジで助かりましたね。
ついでに店の不安も数名の有志の方がお手伝いしてくれると確約してくれたのがかなり大きくて、実際にはお手伝いを頼んだのはひとりだけでしたが、いざとなればどうにかなるなって思えたのは大きかったですね。
(本当に感謝)

入院顛末記

そして3月25日の金曜日。
1週間の検討の余地をもらってからの病院で担当医師に「手術お願いします」と伝えにいきました。

この時に気になっていた事を箇条書きで質問をまとめておいたので全部聞いてみました。

・今回の病気は進行性と聞いたけど手術してもまた再発するのでは?
A.もちろん可能性としては否定しないけど、進行具合がかなり遅い病気なので術後に再発は何十年も後の話になると思う。実際には寿命までには再発はしないと思う。

・手術をすれば今回通院のきっかけとなった背中の痛みは消えるのか?
A.多分消えると思う。ただし手の痺れは長期放置されていたので痺れがなくなる可能性は50%くらいだと思う。

・え?手の痺れってこの首の病気が原因だったの?
A.多分そう。

・今はバイク乗ってはダメと聞いたけど術後は激しいスポーツは出来るの?
A.多分出来るようになると思うけど、こればかりは手術してみないと分からない。でも手術しないなら100%乗ってはダメ。

大体こんな感じ。
他にも日常生活の事とか細かな質問にも丁寧に答えてくれてかなり信頼のおける印象でしたので最終的に

「それでは手術お願いします」

というと即日程の話になり

「今3月25日で4月は予定が入ってしまっているので5月の連休明けとかどうですか?」

と。
これは実は私も仕事的に連休明けくらいが望ましいと思っていたので即了承。

「それでは5月の9日に入院、翌日の10日に手術って事で確定します」

と言われて少しだけ背筋をシャキっとさせて「分かりました、お願いします」と答えました。

するとここまで事務的な表情を崩さなかった先生が少しだけ表情を崩しつつ最後にこう言ってくれました。

「あのですね、いろいろ不安だとは思いますが仮に私が医学的な知識を持って逆の立場だったら絶対に手術を受けると思います。判断は決して間違ってないので頑張って治しましょう」

マジでこのひと言で最後のモヤみたいなのが晴れた気がしました。
だからもうどういう結果でもこの先生を信じようって思えましたね。

 

手術を決めた当日。
そのまま術前の健康診断を行う事になりましてなにやら一気に事が進んでいく感じがしました。
採血したり心電図とったりと半日かけていろいろ検査されまして、結果は全て異常無しで手術OKと。
お次は事務に呼び出されて必要書類にサインしたりしつつ、入院前に「入院準備外来」というのがあるのでそれに来てくださいと言われました。

入院準備外来ってのはまぁ分かりやすくいうと「入院説明会」ですね。
今回私は人生初の入院となったのでこういう取り組みは助かりました。

入院説明は4月の20日水曜日って事で予約も完了して、いよいよ私生活も仕事も全ての事が私の入院に向けて動き出しました。


 

ここからはまさに怒涛の4月でした。
お店を長期で休む可能性があると告知したのもこの時期ですね。
5月はほぼ仕事にならない覚悟だったので、とにかく4月は体調不良をおしての強行軍を続けました。
まぁ実際気を張っていたので多少具合悪くてもなんとかなりましたけどね。

あとは入院の準備も平行して進めます。

入院に際してひとつ大きな気がかりがありまして。
それは私が通院していた慶友クリニックという病院では私の契約しているauの回線が全く入らないという事です。
繋がりにくいとかのレベルではなく「全く入らない」状態。
これはとても大きい不安要素のひとつでして、だって余暇の過ごし方はもちろん、術後の仕事も全く出来ないって事ですからね。

ただしこの不安。
いろいろ確認しないといけない事がありまして。

入院顛末記

実は私が外来で通院していたクリニックと入院する整形外科医院は別の建物になっておりまして、大きなバイパス道路を挟んで反対側にあります。
(実際結構離れてます)
また入院予定の整形外科医院は3年ほど前に新造された最新の病棟でして、うまくすれば建物内の各キャリアアンテナも期待出来るのでは?と思っておりました。

入院顛末記

そこで4月20日の入院準備外来の日に合わせて手持ちのガジェット&カミさんのSB携帯全てを駆使して全キャリアの通信状況を調べる事になりました。

入院顛末記

中でも期待なのが楽天モバイル。
パートナー回線ではなく本回線の電波が拾えれば3000円ほどで無制限ですからね。
SIMを余っているスマホに挿して持っていって何回線で繋がるのか(または繋がらないのか)を確認する事にしました。

で、結果。
全キャリアがバリアンテナで繋がりました。
特に嬉しかったのが楽天モバイル。
パートナー回線ではなく主回線でなおかつかなりの速度で繋がってくれたので、これで入院時はこのポケットWi-Fiだけでしのげる事が確定。
後でさらに調べると院内のどこにいてもかなりの速度が出ていたので、プラチナバンドをもっていないという事を考えると院内にミニ基地局があるんだと推測出来ます。
もちろん手持ちのスマホのauも問題なく繋がりいざとなればテザリングでもOKなので心配がひとつ払拭出来ました。

その後は入院準備外来の本来の役目である入院に対しての注意点とか、コロナのために入院直前にPCR検査があるとか、持ち物はこれ持ってきてとかいろんな不安がひとつずつ解消していきました。


そして入院中は暇だよって周りの意見を参考にしまして。
自分用にいろいろ備品も揃え直し。

入院顛末記

ちっこくて読書に最適そうな8インチのファブレットを買ったり、電源タップとUSB-Aがついてるの買ったり。
とにかく考えうる完璧な装備を揃え入院に臨むための準備をしました。

そして「2週間前から検温を開始してくださいね」
の指示どおりに4月25日の月曜日からはいよいよ入院のための朝晩の検温も開始。

最初に病院に行って手術を決めた日もまだ3月でしたので、ゴールデンウイーク明けとかすごく先の話に思えてましたが、検温がスタートしたくらいからはかなり意識するようになりましたね。

そしてそんな2週間分の検温票がついに…

入院顛末記

埋まってしまいまして、入院当日の5月9日を迎える事になりました。

次回につづく。

入院に至る顛末記

思い返せば2021年のお正月頃に「なんだか首というか背中が痛いな」と思ったのが最初でした。
もともと肩こり体質な私は疲れが溜まってくると強烈な肩こりが出るタイプでよく町中にあるもみほぐしとかも常連な感じでした。

でもね、その時はちょっと違っていて肩こりというか強烈な痛みだったんです。
どれくらい痛いかというと夜中に背中が痛くて起きてしまうくらい。
またやっかいなのが寝る姿勢でも痛み続けるので、朝起きた時には痛みがMAXの状態になってたりして仕事にも支障が出るレベルでした。

あともうひとつが「手の(指の)痺れ」
これは4年ほど前に風邪を引いて寝ている時に横向きに寝ている姿勢で「ゴホンゴホン」と咳をしたんですね。
その瞬間右手の付け根から指先までビビーンっと電気みたいなのが走ってから、そのまま指先の痺れだけがとれずに数年間悩んできました。
まぁあくまでも痺れなので痛いとかではないですから、慣れてしまえばなんて事はないのですが、後日これも今回の入院騒ぎの発端のひとつだった事が分かります。

ちなみに背中が痛いといっても365日痛いわけではなく、1ヶ月から2ヶ月くらいの周期で1週間ほど激痛があり、それが収まると徐々に痛みが引いていって1週間くらいな完全な無痛の期間も1週間あって…という感じでした。
ですので痛い時はかなりしんどいのですが、激痛の1週間を我慢すればなんとかなるといった気持ちと、あとはやはり加齢でそういうもんなのかな?くらいな気持ちもあったんですよね。

そんなわけで痛み始めてから1年が経過し今年のお正月を迎えます。

入院顛末記

お正月はね。
とにかく全てが調子良かったんですよ。

背中は痛くなくてバイク乗っても楽しいし、私生活では子供たちも大人になってきて一緒に酒飲んだりもしてマジで人生で最も幸せなお正月だと思えるくらいだったんですね。

でもそこから正月が明けて2週間後くらいからまた背中が痛くなってしまい、バイクはお預けに。
そしたら今度は背中の痛みが引くことがなくて2月くらいまではマジで苦しい期間を過ごしました。
結局バイクだってこの正月に乗ったのが最後になってしまい、気分的にも落ち込みまして、そのまま仕事が忙しい3月の年度末に突入。

そして忘れもしない3月の15日。
背中の痛みは激化してて夜も眠れずに睡眠時間は平均2時間ほどになってました。
そこでお隣のナグモータースのながちゃんがあまりの疲弊ぶりに心配してくれて「隣町にすっごく有名な整形外科あるので行ってみたら?」と教えてくれたんです。
(ちなみにここまで痛いので病院は2件いったのですがどちらも原因不明でした)

入院顛末記

そして3月16日の水曜日。
お店が定休日だったので朝6時に起きて一番にその病院に行きました。
すぐにレントゲンを撮ってくれて「レントゲンでは分からない神経系だと思うので帰りにMRIの予約をとっていって」と言われました。
診察時間でいうと5分くらいかな「ああ、やっぱりこの病院もダメそう」とかこの時は思ってましたね。

で、MRI予約が取れたのが3月18日の金曜日。
この日も朝から行って朝の8時にはMRIの機械に入ってあとは結果待ち。

入院顛末記

するといつもの診察室じゃないところから声が掛かって「ヤマタクさんこっちの部屋までどうぞ」と。

そこには頸椎科と書かれた札があって「???」とか思いながら診察室に入ると、なんだかすごそうなお医者さんとそれを取り囲むナース軍団。
まさに白い巨塔みたいな感じに気後れしながら椅子に座ると先生が開口一番に

「ちょっと難しい病気になってますね」

と。
そして続けて

「うちに来てラッキーでしたね、他の病院では分からなかったかもしれません」

と。
そして続けて出された手書きの紙が一枚。

「口で言っても伝わりにくいと思うので紙に書いておきました」

と見せられたのがこれ。(原本)

入院顛末記

……コウジュウジンタイ コッカショウ??
なにこれ?

差し出された紙を無言で見つめる私に先生は言いました。

「えーとね、国の指定難病になっている進行性の病気で治療方法がないんです」

と。

「あ、でもね。対処療法はあるので外科手術すれば年齢も若いので大丈夫だと思いますよ」

と。
え?外科手術??
ここでやっと口を開いた私。

・手術は嫌なので飲み薬とか注射とかでなんとかなりませんか?
A.なりません、先程言ったように治療方法がないから難病指定になってます。

・手術というとやはり3~4日は入院しないといけないのですか?
A.最低でも2週間、一般的には3週間ですかね。予後が悪いと1ヶ月以上の入院の可能性もあります。

・手術しないとやばいのですか?
A.いえ、今の状態のまま死ぬまで悪化しない人もいます。でも逆にいうといつ全身麻痺になってもおかしくない状況でもあります。

・外科手術ってなにするんですか?
A.頸椎、つまり首の骨を後ろから開いて分割しまたはめ込みます。それによって頸椎内で圧迫されて狭窄している神経の除圧を行います。

・えっと…大手術じゃないすか?
A.大丈夫です。私は頸椎の専門家で同じ手術を年間でかなりの数やってます。信頼してください。

とりあえず思いついた事から疑問を投げかけましたが、正直この時何を話したのかは正確には覚えてません。
わりとショックだったんです(笑)

その後少し落ち着いてきた私は自分が自営業で店舗の店主である事。
仕事というか店をそんなに閉めておけないことを伝えまして、そんな私に先生は

「では1週間考えてきてください。来週手術を受ける気持ちや準備が整ったらまら来院してください」

と言いました。

「もちろん手術を受けない、という選択肢もありますよ」

とも。
ちなみに現在の症状の進行具合から今の状態でもかなり神経が圧迫されて細くなってしまっているのでバイクはもちろんの事、転んだりするだけでも危ないので注意してください、とも言われさらにビビる私。

落ち込んでいる私に去り際に先生が

「今日時間を作って来院してくれたのならば帰りに市役所に寄って高額医療控除の認定書をもらっておいてください。ついでに保健所にいくと国の指定難病補助の説明も受けられるハズです」

と教えてくれました。
頭がグルグルしたまま病院を出た私はとりあえず市役所にいって認定書をもらい(10分ほどで出た)そのまま仕事やる気がなくなり保健所にもいって説明を受けました。

あ、ちなみにこの担当のお医者さんはめっちゃいい人でした。
普通病院での診察なんて数分じゃないですか、でもこの時多分ですけど20分くらい私が理解出来るまで話をしてくれました。
今でもすごく感謝しております。

でまぁいろいろ悩みに悩みぬきましたが、みなさんもご存知の通りその翌週に再度病院にいき「手術をお願いします」と言う事になります。

途中でちょっと書きましたが今年の初めは人生MAXくらいの幸福度だったんですけどね。この件で「やっぱり良いことあると同じ振り幅で悪い事ってあるもんだなー」とか考えてしまいました。


ちょっと長くなるのと現在PCに向かってテキストを打てる時間が少ない(単純に首が痛くなってしまって長くPC姿勢が保てない)ので、分割掲載になりますが、後日続きを書いてみたいと思います。

>>続編